ヒョットリとか背負い商いなどといった形で日常的に町との経済的な交流をもっていた上松の人びとと、北長池をはじめとする、いわゆる田圃ドコの人びとのあいだには、銭にたいする意識の違いのようなものが存在しているようである。専業農家が多かった田圃ドコの里では、米麦二毛作を中心とした農業に重きを置いていたため、その収穫物を売ったときにオオガネ(大金)とよばれる、比較的まとまった収入があったが、その反面、日常的な収入はあまりなかった。もちろん家によっても違うが、たとえばそこでは、鶏の卵くらいが日常的な換金物であった。かつて高校入学にあたって、親から三〇羽あまりの鶏をあたえられていたという北長池生まれのある人は、卵を町の業者に売ることによって現金収入を得ていたというが、それは自分の高等学校の授業料として使われたのであって、決して生活の余裕を生みだすために使われたのではなかったという。
そのような田圃ドコでの現金収入にたいして、上松のあたりでは、もちろんすべての家に当てはまるというわけではなかったが、背負い商いやヒョットリなどの仕事により、コガネ(小金)とよばれる日常的な現金収入があった。そのため両者を比較した場合に、どちらかといえば田圃ドコの人びとのほうが金や土地があっても倹約意識が強いなどといわれることがあるという。
これらのことからまた、上松という里の特徴ある姿が浮かびあがってくる。つまりは田畑だけでなく、山という場をも有効に利用し、また日常的にほど近い町という場から銭や農家にとって必要不可欠なもの(たとえばその一つが下肥(しもごえ)であった)を直接得て、生活を成りたたせていたという姿である。
町との関連、あるいは山との関連を軸にして、さらに別の視点から、里とよばれる場をとらえ直すことができるならば、それは私たちにたいして、いっそう多様な姿をみせてくれるであろう。