麻は、江戸時代から重要な繊維であった。庶民の衣料などの原料として使用されたり、武士の裃(かみしも)も麻でつくられたものが正装とされていた。ほかに、畳糸、蚊帳(かや)、ロープ、魚網、セイミ(蒸籠(せいろう)のなかに敷く布)など広範囲にわたって使用されてきた。
麻は、自然条件として風通しのよい気候を好む。発育期は比較的高温で降水量も適当にあるほうがよく、市域の芋井のほか、上水内郡の戸隠村・鬼無里村・小川村など西山地方の農家で栽培されてきた。
四月中旬から五月初旬に播種(はしゅ)し、育った麻を七月中旬ころオキリといってこぎとり、根を切って乾燥させた。それを家へ搬入し終わるのがだいたい八月二十日ころであったから、十三日からの盆がこのあたりでは二十日からであった。九月初旬から乾燥した麻をゆでて柔らかくし、表皮を包丁のような道具でこすってけずりとった。これをオカキといい、台所や軒下で主として女性の手でおこなわれた。オカキの終わった麻皮は高いところへつるして干した。なかには、座敷の天井からつり下げて乾燥させた家もあった。
乾燥した麻はいったん保管しておき、農閑期に入った十二月ころからふたたび麻を煮て柔らかくし、細く裂いて一筋によりながら長くつないでいった。これをオウミ(苧績・麻績)といい、もとは手作業でおこなわれていた。一つの部屋に家族全員が集まり、暖を取りながら三月の彼岸ころまで昼夜なくつづけられた。第二次世界大戦までの冬季は麻仕事に専念し、正月もひと月遅れの二月であった。夜は、一二時ころまで夜なべ(夜業)をし、年寄りは就寝しても若者たちはエエ(ユイ)とかエエッコなどといって近所の家に集まり、途中で休憩して花札などをして楽しみながら仕事が進められた。その後、糸合わせ機械も使用するようになった。
このよった糸を寒ざらしにした。寒い朝、しかも無風でよく晴れた寒空の下で漂白させると腐敗を防ぎ光沢のよい白い畳糸ができあがった。これをシミイト(凍糸)といい品質がよく、高価であった。麻のままよりも畳糸にすると二、三倍もの値段がついた。
この畳糸は、細い糸六〇〇シズ(一シズ=一本、長さ五尺)を二五たばねて一束、三束で一梱包(こんぽう)とした。重さは一五キログラムくらいあった。昭和二十年代の値段で一束一万円くらいから一万五〇〇〇円くらいになるときがあった。働き手が多く畳糸をよく作る農家では、一冬に一五束も作った。