麻の売買

445 ~ 447

麻の流通は、主として農家から麻糸を買い集める村の糸買いと町の麻の仲買人によっておこなわれていた。桜枝町、西長野町、新諏訪町、立町、栄町、西之門町など西山地方に近い町には、麻の仲買人(麻手紡糸登録販売業者)が十数人いたし、それぞれの村にも糸買いが何人かおり、鬼無里村には八人ほどいた。主としてこの糸買いや仲買人によって麻糸の売買がされていた。

 糸買いは、農事のかたわら麻の生産農家を訪ね、麻糸を買い集めては家の土蔵や部屋へもちこんで保管しておき、長野からやってきた麻の仲買人へ売却していた。取り引きをする相手はだいたい決まっていて、仲買人は糸買いの家に泊まりこんで商売をしていた。麻の値段をつけるために、仲買人は糸を両手で引っ張ってみて糸の切れ具合で値段をつけたり、取り引きする麻の量に応じて手数料を支払った。

 仲買人が山へ買い取りに出向くのに特定の時期はなく、八月の夏場を除いて年中にわたった。経済的に余裕のある農家では、一冬に作った糸を全部売ってしまわずに土蔵の羽目板でしきられたなかなどに保存しておき、値段のよい時期に売っていた。

 町の仲買人が直接麻農家へ仕入れに行ったこともあったが仲買人には、どの農家に麻がどのくらいあるかわからないために、村の糸買いといっしょに麻の生産農家を訪ねて畳糸を買いつけていた。「あの家は、近々嫁に出さなくてはいけないから金がかかる」「あの家では、何日に法事をやることに決まった」などと、村の事情をよく知っているので金の入り用な家へ出向いて商売をしていた。

 また、仲買人は、何日にどこで麻の品評会や共同販売があるということを聞きつけると、そこでは大量に仕入れができるので出向いていった。しかし、こういう機会は、収穫期の秋とか冬で、年に何回もなかった。戸隠村、鬼無里村方面へ行ったときは、日帰りでは何軒も回ることはできなかった。また、農家の人は昼間は田畑の仕事で外に出ているため夜にならないと会えないときが多かった。そんなときは、村の旅館か、糸買いの家に泊まったりした。鬼無里村方面へ行くときは二日くらいかかるし、それから小川村へ回ってくることも多かったため、三、四日くらいかけて商売していた。


写真2-33 長野麻商組合旗
(長野市立博物館 平成10年)

 糸買い・仲買人はともに年齢層が高く四、五十代の人がほとんどであり、比較的経済的にも恵まれていたが、馬は所有していなかった。このため、ダチンツケとよばれた山から町へ通(かよ)っていく馬方(運送屋)に依頼し、町の麻問屋のある西長野町や新諏訪町・桜枝町・立町・栄町などへ運びだした。量の少ないときは、自分でかついで麻問屋へ運ぶこともあった。麻問屋の主人が直接仕入れにいったこともあった。ふだん買っていない農家からも買いたい場合は、相場以上の値段をつけて買った。戸隠・鬼無里・小川方面へは二十数キロメートルもある坂道ばかりで、道程の半分以上は自転車を押していった。朝早く自宅を出て午前中に山へ着き、農家を回って麻を買い求めた。荷台に二把(わ)(24シズ×2)くらいつけて夕方から夜にかけて町へ帰ってきた。また、生産者が直接、ショイコにつけて自分で町の行きつけの麻問屋へ売りにきたこともあった。畳糸は上等品であるため大事に風呂敷に包んで売りにきた。

 明治十九年(一八八六)に鬼無里街道が開通する前までは、西山と長野とを結ぶ道は道幅が狭く、人が背負うか馬の背につけるかする方法しかなかった。粘土道のため歩くときに上が足にくっついたり、泥がはねあがって困った。それを少しでも防ぐために地下足袋にわらじを履いて滑らないようにした。わらじも往復するのに二足は必要であった。補充用をもっていかなかった人は途中の茶屋で購入した。冬場は、雪が多くて滑ってがけから馬を落としてしまったとか、上から石が落ちてきてけがをしたとかという事故も起きていた。西山街道筋のところどころに今でも供養のための馬頭観世音の石碑がひっそりと残っており、また水飲み場の跡もあり、人と馬の往来で活気を呈していた当時の街道の姿がうかがわれる。

 糸買いは、麻の売買をしたりその銭勘定をしたりするのが主であった。町の仲買人は、生産者からお金の借用を頼まれれば前渡しもしてくれ生産者を大事にしていた。

 人が動けば新しい情報も入ってくる。仲買人が月に一、二回山へやってきて宿泊するさい、その家の主人や旅館の主人は町や道中のようすなどについて新しい情報に接することができた。こうした情報はそこからいつの間にか村中に語り広められていった。麻の売買をしているなかで、縁談話が出て紹介したり、取りつぎ役をしたりしたこともあった。そしてめでたく結ばれた組もいくつかあった。桜枝町や西長野町・新諏訪町などには、西山地方の二男、三男で町へおりて分家に出たり、同じ西山の女性と結婚して居住したりした人が何人もいた。まさに麻で結ばれた縁である。懇意になってくると、祭りに招かれたりすることもあり、日常気軽に交流したりするようになっていった。