麻農家では、自分の家で畳糸に加工できる分以外の麻は馬の背につけたり、自分で背負ったりして、町の麻問屋へ売った。麻問屋はその麻を内職に出し、新諏訪町、西長野町など西山と関係の深い町の女手により製品にされていった。麻問屋から工賃をもらい農閑期ばかりか忙しい時期でも夜なべして内職し、ロープや下駄の鼻緒を作ったり、しっくいを塗るときその下地に短く切って結ぶひもを作ったりして、生活の糧(かて)を得ていた。元麻問屋の人は「私らも麻の仕事があり、収入源があって助かったし、山の人たちも収入があり、互いによかったのではないか」と回想し、今でも「柵(しがらみ)(戸隠村)や鬼無里など西山地方の麻農家で作った麻を、糸に作らせてもらったことがある」という町の人がいる。