馬方が、馬方茶屋で一休みするあいだ、馬はその休み場の繋(つな)ぎにつないでおいた。そこには井戸があったので水を汲(く)んであたえ、飼葉桶(かいばおけ)をあてがって休ませておいた。馬方は、茶屋で持参してきた昼食をとって休憩したあと、山の人たちの注文書により酒屋へいったり、菓子屋へいったり、呉服屋へいったりして注文品を買ってきた。商店から荷物置場へ届けられたものもあった。長いあいだの常連だから手順や方法はみんなよくわかっていて、だいたい午後四時ころまでに届けられた。
注文品は、衣類ではモンペの生地、さらしなど、海産物ではにしん・昆布・干鱈(ひだら)・数の子・塩鱒(しおます)・塩さんま・エゴ(海藻)などで、山までもっていっても傷(いた)まない干物や塩物であった。日用品としては、菓子・薬・塩・酒や鍋(なべ)などの金物類であった。町のM氏宅では、結婚式や葬式のときなどに注文をうけた大量の折詰を、馬方に頼んで山の注文者まで届けたこともあった。一日のなかで茶屋が一番にぎやかだったのは夕方で、いつも六、七人はいた。
馬方は、注文された品々がそろって帰りの荷造りができると、持参した弁当や黄粉(きなこ)むすびをほおばり、馬方茶屋で煮しめや豆腐など買って食べながら一休みした。なかには、一杯飲んでゆっくり休んでいく人もあった。茶屋では、町のようすや山のようすなどが話題となって情報交換の場にもなり、往来する人びとのよい交流の場になっていた。
帰路は、だいたい夜八、九時ころ茶屋を出発した。馬方提灯とよんだ小田原提灯をつけて、街道を何人かが行列を作って里山を歩いていく夜景は、遠くから眺めていると風情があってよかったという。
戸隠村・鬼無里村あたりへは、翌朝五時から六時ごろ到着し、いったん休憩してから注文された品物を一軒一軒へ配って歩き、配り終わるのは一〇時から一一時ころであった。注文取りから配達まで三日間の仕事であり、四日目は休んだ。この仕事は年間とおしておこなわれていたが、とくに冬季は降雪があったり道がぬかったりして大変であった。
このほかに、個人で馬の背に麻、薪、炭などをつけて町へ売りにくだり、買い物をすませてから馬方茶屋で昼食をとったり一休みしていった人もいた。芋井の人のなかには現在の善光寺下駅付近に水田を所有している人が何人かいて、ショイコなどに荷をつけて働きにきていた。水田の端にある農具置き場を兼ねた休み小屋(出作り小屋)で休んだほか、仕事の帰路買い物をして茶屋へ寄って休んでいった人もいた。