山には、海産物を扱う問屋がなかったので、町の海産物問屋が、戸隠村・鬼無里村などの旅館や小売店からの海産物の注文品を届けていた。注文品は馬方が駄馬で運搬した。
戸隠村の馬方の得意先は、主として中社・宝光社の旅館で、取り引き先は十数軒あった。馬方は、長野の町へ売りにもっていく荷物を近所から集める。薪炭はどこへ、あわ・大豆・小豆などの穀類はどこへ、野菜はどこへおろしてくれというように、届けるところがはっきりしていたので、そこへ届ける回り順を計画した。同時に旅館から帰りに海産物問屋から買ってくる注文書を預かった。どんな海産物をどのくらい買ってくるか、酒・塩などはどのくらいかと書かれた書付けである。そのほかに、村の小売店から依頼された海産物も卸問屋で求めてくる。海産物のうち大事な蛋白(たんぱく)源である身欠きにしんは、一〇〇本単位で束になっていたが、注文書より余分に購入していって村の希望者に売るという行商をかねた馬方もいた。
山には、小売店が少なく、あっても遠く離れていて不便であったので、魚の行商人が入ってきていた。盆、正月、祭りなど村の行事のあるときをねらって行商人は山へあがってきた。身欠きにしん・干鱈などや昆布などの乾物を自転車に乗せたり、籠(かご)に入れて背負ってきて売って回った。農家の人は、物交(物々交換)といって豆類や野菜などと交換をしてくれたので喜ばれたり、次回はいつころくるか、こんな海産物を持ってきてくれと注文したりして、行商人のあがってくる日を楽しみにしていた。