長野市内には、『長野県の諸職』で取りあげられている職人のほかにも多くの職人が存在した。市内には鍬(くわ)や鋤(すき)の柄を作る棒屋(鍬柄作りともいう)や碁盤のほかに将棋盤を作る職人、そのほかに檜物師(ひものし)などもいたといわれている。また下駄屋、提灯(ちょうちん)屋、竹屋なども存在した。
表2-4は、『長野商工会議所六十年史』にのせられている「大正三年商店町別種類別分布」という、長野市内の商業の種類別の内訳のなかからとくに諸職に関連した商業を抜きだしたものである。本表では、米穀、肉商、茶商など商店と目される商業の内訳は除いたが、時計、ガラス、薬種など商店か職人か、あるいは小売商を兼ねた職人か、判別不能なものはそのままとした。この表にあげられている商売の数を、そのままその商売にたずさわった職人の数とみることはできないが、いわゆる職人が小売商を兼ねている場合もあるため、当時の長野には、この表にのるような職種にたずさわる商人や職人が存在していたことは確かである。