職人の出自

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職人の家では、腕のいい職人を跡継ぎとするため、実子がいてもわざわざ養子を取ることがあった。桶(おけ)屋の場合、長野市内にいた同業者の大半は、越後(新潟県)や甲州(山梨県)からきた人たちであるという。屋根屋は、新潟県出身者が多く、新潟県の旧和田村(東頸城郡安塚町)は屋根屋の村といわれていた。

 長野では、市内にいた職人を除くと、新潟県など県外から職人がくることが多かったようである。また、現在長野にいる職人も、その出身地をたどっていくと、新潟県出身者が多いという。