仕事の時期

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長野の畳屋が忙しかった時期は、養蚕で畳を上げるときや、結婚式のときなどだった。また昭和四十年ごろまでは、「衛生」といって、春と秋の彼岸のころ年二回、大掃除の日が決められており、家中の畳を上げて掃除し、畳の埃(ほこり)をはたいて干していた。衛生の日は強制されたもので、市町村や県の監視員が巡回していたが、畳職人が仕事にいくと、依頼主の家の衛生はそれですんだことになった。畳を一日干すと、畳の芯(しん)の温度は六〇度まで上がった。当時は畳屋の仕事を道路や庭ですることができた。その光景をこどもたちや通行人が見かけるため、畳屋の格好の宣伝になった。

 畳屋でも「二、八(にっぱち)は仕事がない」といわれており、市内の一般家庭では、二月と八月には屋内の造作をいじらなかったため、畳屋の仕事も暇だったという。また二月を含めた冬のあいだは仕事がなかった。

 婚礼が結婚式場などでおこなわれるようになる以前の、自家でおこなわれていたときには、婚礼の準備として家中の畳を替えていたが、今では会場が家の外に移ったため、座敷の畳を替えるくらいになり、婚礼といっても昔ほどは畳を替えなくなった。

 屋根屋の場合は、屋根葺きの作業は外でおこなう仕事だったため、雪が降りはじめると仕事にならなくなった。だいたい一月~三月の三ヵ月間は屋根仕事はできなかったため、そのあいだは家にいて農家の仕事をした。