長野市内には、職人をまとめるさまざまな組合がみられる。業界の勢力は加入する職人の人数によるが、地域ごとに組合を組織し、県レベルやその上部組織としての全国レベルの組合が組織されている場合もある。こうした組合は、職種ごとに組織されたり、関連の業種が協力して組織されたりする場合もある。しかし、職人の数が減ってきている業界では、組合を解散せざるをえなくなっている場合もある。
畳屋では、昭和十五年(一九四〇)に北東信畳組合連合会を組織して、昭和十六年に長野県畳工業組合を組織した。そして昭和三十二年に長野県畳商工組合ができた。長水支部は上水内郡鬼無里村を含み、五〇軒ほどの畳屋が加入している。
松代町の畳屋は、埴科畳組合に加入しており、この組合には一二軒の畳屋が加入しており年齢をみると六〇歳の人が一番若い。総会は年に一回おこなわれており、組合長は一年ごとに各地区で選ばれている。畳の加工賃などの値段は、組合で協定して決めている。畳屋の賃金は、材料費に工賃を加えたものであるが、現在では消費税が加わる。
曲物屋には、以前は長野県曲物組合があったが、第二次世界大戦中から戦後にかけて材料不足になったときに、曲物屋の数が減り、組合は自然解消した。以前は組合で価格を設定していたが、現在では個人で決めている。
草屋根を葺(ふ)いていた屋根屋にも昔は組合組織があって、年に一回は会合を開き、値段や日当などを決めていた。毎年組合長の家や温泉などで会合を開き、役員改選をおこなっていた。
しかし、現在では屋根屋独自の組合はなくなったため、若穂の屋根屋は、瓦(かわら)葺き職人を含む屋根屋、大工、左官、建具屋、板金(トタン)屋などで構成されている保科職工組合に所属している。保科職工組合では、職種ごとに役員を選出している。組合では無尽でお金を貯(た)めたり、毎月三〇〇〇円ずつ積み立てたりして、二年に一回旅行している。
鳶(とび)職には、現在、長野県全域で一〇〇軒近くの同業者がいる。そのため県内を四ブロックに分けて組合を作っている。長野市を含む北信地区には、四〇軒近くの同業者がいて、仕事のときはお互いに助けあっている。長野県内の鳶職全体をまとめる組織として、長野県鳶事業協同組合があり、半纏(はんてん)を作って組合員に配布している。また組合の指導のもとで、傘下の鳶職は善光寺木遣(きや)りもできるようになったという。総会は年に一回、九月か十月ごろに開かれている。組合に参加するには出資金と年会費が必要となる。県下全域の同業者を組織した組合としては、全国で初めてのものであるという。現在では各都道府県ごとに鳶職の組合があるが、これを統一する全国的な組合組織はないという。