オコツアゲなど

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信徒会会員になるには、善光寺周辺に住んでいなければならないという規定はないから、かならずしも信徒会をもって地域社会と善光寺との結びつきを図るものとはいえないかもしれない。信徒会の活動よりも、より直接的に地域の人びとと関係しているのは、葬式の翌日にオコツアゲ(骨開帳)といって、親族がお骨をもって大本願もしくは大勧進と善光寺にお参りすることである。桜枝町のIさんは、葬式の翌日に菩提寺(ぼだいじ)にお寺参りにいくほかに、お骨をもって大本願へ行って法要してもらう。昔は羽織袴(はかま)でお骨をもってお上人さんに拝謁(はいえつ)し、執事がどこのだれかを伝えると、お上人さんは「御愁傷様でごさいます」とお悔やみのことばをくれる。このとき、色紙や数珠などをもらうこともあったという。その後善光寺へ行ってまたお経を読んでもらって帰り、お骨を墓へ納めたという。近ごろでは、善光寺で法要してもらってから、そば屋などで昼食をとり解散する場合が多いという。葬式のあと菩提寺へお参りするようになったのはこのごろで、菩提寺の和尚さんは善光寺などへはいかなくてもいいから、自分の寺へ来るようにいっているという。オコツアゲに来るのは図2-23にみられるように、善光寺近辺を中心として犀川以北の人びとが多く、芋井あたりの人はお骨がまだ熱いくらいのうちに善光寺へやってくるといわれる。


図2-23 オコツアゲ(骨開帳)

 また、オカミソリとかオテエドという行事がある。これは信徒が希望して、お上人さんが信徒の髪にかみそりをあてて仏の弟子になったことをあらわし、法名をあたえるものである。個人だとお朝事のあとで、団体だと申しこんだときにおこなっている。法名は二字あり、亡くなったときは旦那寺(だんなでら)へそれをもっていって、戒名のなかに組みこんでもらうのだという。

 また、西山方面の人たちは、盂蘭盆(うらぼん)には新仏を迎えるためにお籠(こ)もりにもやってくる。七月三十一日の宵(よい)盂蘭盆には、西山の人たちが午後三時ころになると大勢歩いて仏さんのお迎えにやってきた。近所の人もお参りにはいくが泊まることはない。お籠りをする人たちは、大勧進へは泊まり賃だといって米を持参し、自分の夜食用にはオヤキをもってきた。オヤキは他人の物をとって食べると、いいことがあるなどといった。また、近所のこどもたちはこのオヤキを盗みにいったという。泊まる人たちは、回廊にござを敷いたり、賽銭(さいせん)箱の前の畳敷きのところなどでざこねをし、翌朝のお朝事を聞いて帰った。お参りにきた人たちは、種屋で秋まきの種などを買って帰ったものだという。善光寺が国宝になってからは本堂に泊まることができなくなり、大勧進の一室でお籠もりをしていたが、今はそうしたこともなくなった。