このように善光寺とその周辺の人びととの関係をみると、近世には善光寺領であったといっても、院・坊を除けば個々の信徒が直接に善光寺と結びついているだけで、地域が集団として善光寺に帰依(きえ)する姿はうかがえない。たとえていうならば、菩提寺を地方区の寺とすれば、善光寺は全国区の寺だといえるだろう。善光寺の周辺地域を「善光寺のおひざもと」といってみても、あくまで全国のなかの一地域にすぎないのである。事実、信徒の側から先祖の供養にと寄付を申しでることはあっても、近くにいるからといって善光寺の側から信徒会へ寄付をつのったり、寺への労力奉仕を願うようなことはない。
善光寺から少し離れると、「善光寺のおひざもとには鬼がいる」などと、善光寺近辺の人びとの不信心ぶりがささやかれることもあるほど、地域社会と善光寺との結びつきは希薄である。とはいえ、地元の人びとがみな不信心だというわけではない。なかには、毎朝善光寺へお参りするという熱心な人が何人もいる。ただ、地元であっても、それぞれが個として善光寺と向き合っているのである。院・坊に限らず善光寺近辺の人びとは、何らかの形で善光寺の恩恵を受けて暮らしているにもかかわらず、集団として希薄な関係だということは不思議なことである。しかし、考えてみれば地域社会というものに組織的に頼らなかったからこそ、時代とともに地元の政治的・経済的状況が大きく変化しても、こんにちにいたるまで善光寺が生き残ってこられたともいえるだろう。