つぎに本堂内の空間配置を考えてみよう。本堂は縦長で、外陣(げじん)・内陣(中陣)・内内陣(内陣)の三つの空間から成りたっている。外陣は一般の参拝者がだれでも自由にお参りできる場であり、中陣は畳敷きで下足を脱いで本尊のそば近くで参拝できる場、内陣は本尊がまつられ僧が毎日のお勤めをする場である。
中陣では、かつては参拝者のお籠もりがなされた。お籠もりこそが善光寺参詣の目的であった。如来とともに、一つ屋根の下で一夜を過ごすことは、信者にとってどんなにか至福の時間であったことだろう。中陣は俗人がそのままの形で如来のそば近くに仕え、聖なる空間と時間を共有できる場である。いわば、聖的空間の内部にありながら俗をとりこむという、両義的性格を帯びた場所なのである。
内陣正面には、本田善光(よしみつ)・その妻弥生(やよい)・長子善佐(よしすけ)がまつられており、善光間といわれている。本尊の如来は向かってその左にある瑠璃壇(るりだん)にまつられている。その結果、本尊は本堂正面ではなく正面西側に安置されることとなる。このことを承知しないで本堂にお参りすると、外陣からの参拝者は本田善光一家を拝することとなる。本尊あっての寺にもかかわらず、本尊を正面中央にすえないのは不思議なことである。そのうえ、中央にまつられている本田善光は俗人であって、僧ですらない。そこで、内陣を寺とみなさないという発想の転換をしてみたらどうだろう。つまり、善光の像を中央にすえる内陣は、善光寺如来をまつった善光の私宅をあらわしたものだとみなすのである。そうすると、善光寺という聖なる空間の中枢部である内陣に、もう一度俗なる空間をはめこんで、そのなかに本尊を安置したと解釈できる。これは、つぎの「善光寺縁起」で考察する、寺にまつられようとした如来が善光の家の西側のひさしを離れようとしなかったという由来にも合致するものである。
もう一つの見方としては、本堂内を外陣・中陣・内陣・本尊と進むにつれて段階的にしか高まらない聖性を変化させるため、内陣内を俗的空間に模して聖性をいったん低下させ、瑠璃壇にまつられる本尊の聖性を際立たせようとしたとみることもできるだろう。
こうした本堂内の空間配置を大きくみるならば、俗世間のなかに善光寺を置けば丸ごと聖空間としてみることができるが、聖空間たる善光寺内部だけをとってみれば、外陣という俗的空間と内陣という聖的空間、中陣という両義的空間に分かれ、さらに内陣内が瑠璃壇という聖空間とそれ以外の俗的空間とに分割されるという、三重の入れ子構造になっていることがわかる。