さて、はじめに縁起で触れている方角に注目してみたい。縁起には「西」という方角が多くみられる。まず物語の端緒である娘の病を救おうと、月蓋(がっかい)長者が釈迦牟尼(しゃかむに)にお願いしたところ「西方に向かい罪障を懴悔(ざんげ)すべし」といわれる。そして、月蓋が西方にむかって一心におまいりしたところ、阿弥陀三尊が西の楼門に来臨する。さらに、物語の終わり近く、善光が家に連れてきた如来を草庵を造ってまつったところ、三度までも善光の家の西の廂(ひさし)に帰ってきてしまい、汝(なんじ)らの心を西方に導かんがためにこのように西の廂に移るのだと、如来は善光に告げるのである。西方浄土観のあらわれといえばそれまでだが、ここまで縁起で「西」にこだわり、人びとがそれを受け入れているということは、現実の空間配置においてもそうした理念が反映されているのではないかと予想されるのである。