つぎにみる謡曲「柏崎(かしわざき)」も、石童丸と同じように父子の別れと出会いが語られる物語である(日本古典文学大系『謡曲集上』野村戒三編「謡曲二五〇番集」)。
(1)越後の国柏崎殿は訴訟で鎌倉へ出かけて、亡くなってしまう。子息の花若御前は父との別れを悲しみ、遁世(とんせい)してしまう。
(2)家来が柏崎に届けた花若の形見の手紙には、帰って母に会えば出家を止められると思って帰らない、命を長らえていたなら、三年のうちには帰るとある。これを見てはじめは恨んだ母親も、わが子の無事を神仏に祈る。
(3)夫を失った悲しみとこどもを案ずる余りに狂ってしまった母が、善光寺へお参りする。母が内陣へお参りしようとすると、女でそのうえ狂気のものが内陣へ入るのはもってのほかと、追いだされそうになる。女は罪深いものほど阿弥陀如来に御縁があるはずだ。浄土は遠くではなく近くの内陣にあるといい、夜念仏をしようと内陣へ入る。
(4)これを見ていたのが、善光寺で修行をしていた花若である。母が形見の品を如来に捧げて祈る姿を見て、思わず名乗りをあげ、母子の再会を喜びあう。
この「柏崎」でも、出家によって出会いがかなわなくなってしまった親子が、善光寺でなら許されて会うことができるのである。というよりも、善光寺でなら会うことが許されると主人公が判断し、そうした判断を妥当なものとして受け入れる観客側の感性があったというべきだろうか。悲しみに狂乱した母親は、「また唯心の浄土ならば、この善光寺の如来堂の、内陣こそは極楽の、九品上生(くほんじょうしょう)の台(うてな)なるに、女人は参るまじきとの、御誓願とはそもされば、如来の仰せありけるか」と、制止する人びとを押しのけ、「ここを去ること遠からぬ、これぞ西方極楽の、上品(じょうぼん)上生の、内陣にいざや参らん」と、内陣へお参りするのである。女であり狂っているという、二重の負い目を、だからこそ救われるのだと一気に逆転してしまうところに、これを創作した人びとの願いや強さを読みとることができるとともに、そうしたことがいいきれる場所、いいきってしまっても観客に違和感を感じさせない場所が善光寺であったということができるだろう。