聖は来世、俗は現世としばしば読みかえることが可能である。そこで、善光寺での聖と俗との出会いは、来世と現世との出会いに通ずる。これをあらわす、つぎのような江戸時代の霊験譚(れいげんたん)がある(小林計一郎『善光寺さん』)。
肥前の国長崎より、同行(どうぎょう)四人にて、善光寺へ参詣いたしける道中にて、女房わずらいつき、ついにむなしくなりにける。夫吉蔵というもの、よんどころなく、二歳になる男の子をふところにして、よろよろ善光寺へ着きける。不思議なりけるは、失せたる女房、形をあらわし、こり乳を含ませながら、如来前へ参り、伏し拝みける。そののち、小児を夫へかやし、形はそのまま消え失せにける。誠に不思議の事なり。これ、ひとえに如来をこころざし来たる一念の届きたるところなれば、聞く人袖(そで)を濡らしける。そののち、善光寺如来、長崎御開帳のとき、吉蔵は妻のため如来のお弟子となり、髪をとりてぞまいりけるは、げにありがたき事なりける。
善光寺では、生者ばかりでなく死者にも出会えるのである。参詣者が死者に出会うために設定された場所が、お戒壇(かいだん)であろう。参詣者はお戒壇を巡ることで、つかの間のあの世を体験することができた。それはまた、手軽な死と再生のドラマでもある。だから、お戒壇は現世に置かれた来世だといってもよいだろう。この世にあってあの世をかいま見ることも、善光寺へお参りする一つの理由であるに違いない。
死者であれ生者であれ、二人が出会うということは、二つの世界の接点がそこにあるということだろう。善光寺が出会いの場であるということは、異なる二つの世界の接点が善光寺だと考えられているからである。