長野駅から松代街道を行き、千曲川に架かる松代大橋を渡って松代に入っていくと、道は町中でかぎの手に九〇度西に折れ、直進すると更埴市の屋代へと通じる。この道が谷街道(近世の北国街道松代通り)である。屋代のほうからいうなら、松本からの北国西街道(善光寺街道)を稲荷山町(更埴市)で折れ千曲川を渡って谷街道となり、屋代の街で北国街道といっしょになった。谷街道は、屋代の北端でふたたび北国街道から分かれ、雨宮(更埴市)、岩野(松代町)を通って松代の町中に入り、かぎの手に北に九〇度曲がって町の北端で長野への松代街道を分岐し、谷街道は須坂へと向かう。こうしたルートをもつ谷街道は、この道とほぼ並行して長野電鉄河東(かとう)線が敷設されていることからもうかがえるように、千曲川東岸の重要路線で、松代はその一つの拠点である。
松代の町がもつたたずまいは、こうした谷街道を抜きには考えられないのであり、これを基軸にして小路が東西南北に分かれ、街道と小路を中心にして町並みが形成されているといえる。具体的には、街道や小路をはさんで両側にある家々で町内を構成しているということである。しかも、たとえば紺屋町では、家々の屋敷取りは、もとは間口が街道に面して狭くなっているのにたいして、奥行きが長くなっているのが標準的という、街村形式の町割伝承がある。
現在の町内構成を松代公民館青年教室が作成した「松代マップ」(図2-29)を見てわかるように、松代は千曲川の支流の関屋川と神田川の二河川に挟まれ、町の西北部に松代城、その東から南には殿町があって、この外周を谷街道がかぎの手に曲がりながら通っている。谷街道沿いには、西から馬喰(ばくろう)町、紙屋町、紺屋町、西木町、中木町と連なり、北に直角に折れて伊勢町、中町、荒神(こうじん)町、横町とつづき、荒神町と横町にはふたたびかぎの手の曲がりがあって東寺尾へとぬける。中木町から伊勢町に曲がる角の南から東にかけては、寺町があり大林寺、本誓寺、證蓮寺、大英寺と、寺院がある。