弘化の絵図から指摘できるもう一つの重要な点は、これには居住者名、屋敷地の坪数、尺取りなどが記されている部分と、屋敷取りの区分がない町とがあることである。『松代町史』上巻に収録されている嘉永年間(一八四八~五四)の「侍屋敷之図」(図2-31)でも同じだが、寛政年間(一七八九~一八〇一)の「松代御家中之図」では、空白町内には「町屋」の記載があって、絵図は武士階級が住む侍町と町屋である町人町、そして城と寺堂・神社には特別な彩色が施されて区分されているのである。
町人町は谷街道沿いにL字型に配置され、したがって城と殿町、清須町の外側を取り巻くようにあり、さらに御安口から荒町にかけても町人町になっている。そして、侍町は谷街道から小路を入ったところに配置され、いわば街道からはその存在が見透かせないようになっているのが特色である。