道祖神社をまつるのは肴町で、『長野県町村誌』にその祭りのようすが記されている。同書に記された男根状のつくりものをもっておこなう祭りの伝承は途絶えているが、肴町ではドンドヤキに真田家の門松の芯(しん)棒の一本をもらいうけた。また、この日のお日待でつくられる鏡餅の大きな切り身を届けると、真田家から「金五十疋(ぴき)」(金二朱)と記した祝儀をいただけるのが慣例となっていたという。ここの道祖神祠には「明治十七年第一月十五日 真田幸民(ゆきもと)様内真田於貞(おさだ)様御寄付相成(あいなり)候」とあって、真田家との関係を示している。なお、この道祖神社には侍従大神、秋葉大神といった火伏せの神もいっしょにまつられている。
稲荷社は、たとえば伊勢町の西木町では、稲荷社を屋敷神としてまつっていた家が他出したため、これを町内の神としてまつるようになった。紙屋町では三月の十日ころに神官を頼んで町内の稲荷神社の祭りをおこなっている。