城下町としての松代の伝承の、いくつかの側面を具体的に取り上げてみてきたが、ここには市域の他の地区にはみることができない空間構成、つまり城下町特有の町内構成が、現在もあるといえる。このことは述べてきたように、景観伝承としてとらえることが可能なのであり、また、町の歴史が刻みこまれた現在の姿ということもできる。景観伝承には、谷街道沿いの町人町とそこでの間口規制、これにたいして街道の奥に立地する侍町とその広い屋敷取りという対峙(たいじ)をみてとることができる。しかも、現在ではその姿をとどめていないが、古い総構え土手跡の内と外で見ていくと、土手跡の内には松代城と城主真田家の菩提寺である長国寺を二極とし、そのあいだに有力町人町をはさんで侍町が構成されている。そして、この構図はのちに形成された土手跡の外の町内構成でも同じであって、やはり谷街道沿いの町人町をはさんで南北に侍町が形づくられており、一貫した城下町形成の仕組みをうかがうことができる。