町の神社

535 ~ 536

松代は、現在も城下町としてのたたずまいを残すとともに、城下町時代に形成された侍町と町人町の町割りが神社祭祀に受け継がれているのが特色である。侍町というのは、その名のとおり、真田家の家臣が居住していた町内であり、町人町は「町八町(まちはっちょう)」とよばれて、町人が居住した町内である。侍町には殿(との)町・清須(きよす)町・代官町・竹山町・同心町・有楽(うら)町・馬場町・下田町・裏柴町・田町・松山町・四ッ屋・表柴町などがあり、町人町には馬喰(ばくろう)町・紙屋町・紺屋町・伊勢町・中町・荒神(こうじん)町・鍛冶(かじ)町・肴(さかな)町などがある。

 これら各町内では、たとえば代官町・馬場町・田町・伊勢町の立町ではそれぞれ秋葉(あきば)神社をまつり、紺屋町では水神(すいじん)社、肴町では道祖神社、紙屋町では稲荷(いなり)神社をまつっている。すべての町内というわけではないが、町内で小祠(しょうし)をまつるところは随所にみることができる。これに加えて侍町全体では白鳥神社、そして、町人町では祝(ほうり)神社をまつっている。つまり、町内で神社をまつっているところでは、町内の神社と侍町あるいは町人町の神社とをまつっており、二重の鎮守祭祀をおこなっているということができる。