『松代町史』上巻によれば、白鳥神社は、元は上田の東方海野村(小県郡東部町)に鎮座しており、真田信之が元和八年(一六二二)松代に移封(いほう)になり、寛永元年(一六二四)九月に現在地に遷座した。その後、真田幸貫(ゆきつら)の時代には白鳥大明神を四宮大明神と改称したが、嘉永五年(一八五二)にふたたび白鳥大明神に戻した。明治三十年(一八九七)には県社となった。旧藩時代の祭りには山麓(さんろく)に一〇八間の馬場を設け、藩主などが観覧するなかで身を清めた藩士による騎射がおこなわれたとある。真田家の移封とともにこの地に遷座されたということは、真田家の氏神としての性格をもつ神社であり、これが侍町で伝えられているように明治時代になって旧藩士たちの鎮守社となったのである。