松代の神社祭祀で、もう一つ注目されるのが「御祭礼」とよばれている祇園(ぎおん)祭である。これは東条に鎮座する池田の宮のお天王さんを迎えての祭りで、すでに慶長年間(一五九六~一六一五)にはおこなわれていた。池田の宮というのは延喜式内社の玉依比賣(たまよりひめ)命神社のことであり、『松代町史』によれば「素戔嗚命(すさのおのみこと)(祇園天王又は八坂大神と唱ふ。昔天王山に祀(まつ)る地主神)を祀り境内に神輿(みこし)庫ありて毎年秋期に祭礼を行ふ」と記されている。この祇園天王の神を神輿で迎えてまつるのであり、慶長八年(一六〇三)までは、東条の﨤(そり)町へ仮屋が設けられ、巡行していた。これが、翌慶長九年には松平忠輝によって神輿が寄進され、巡行の仮屋が松代町の中町に移って、松代町の祇園祭がおこなわれるようになったのである。
この祇園祭については、明治七年に作成された「神社由緒録」(『神道大系 神社編』二四)の玉依比賣命神社の項にはつぎのようにあり、江戸時代末のようすがわかる。
恒例トシテ六月十七日、今九月、ニ神輿ハ松代城下 今按(あんずる)ニ松代以前、今ノ田中村ノ内﨤町ト云(いう)ヘ神輿下リシ也、委細如図(ずのごとし)、中町ヘ動座仮屋ヲ立、ソレヨリ廿三日迄十七日ノ間祭リナリ、廿二日廿三日両日舞台ヲ飾リ八町ヨリヲトリ狂言ヲモロモロニ仕組テ出ス也、祭リ通リ済ミヌレハ領主或ハ家中ヨリ馬ヲ出シ、セメ馬有、馭者(ぎょしゃ)ハ領主ノ馬役又ハ家中ノ若侍思ヒ々々ノ綺羅(きら)善尽セリ、是ヲ見物セントテイセ町両中町荒神町迄モ棧敷ヲ打大幕絵ミス取々ニ在々所々ノ男女八町ノ中ニ埒(らち)ヲ結テ其両方ニカヅノ子ヲウチタルヤウニ並居テ見物スル也、廿三日夕陽ニ及テ神輿帰座云々、
松代に神輿が下りる以前は現在の田中村の返(﨤)町に下りていたこと、祭りは今は九月であるが、以前は六月十七日から二十三日までの七日間で、中町の仮屋に神輿が遷座すること、二十二日・二十三日には舞台を飾って町人町の八町から踊りや狂言などが出ること、これが終わると領主か家中から馬が出て、馬役か若侍がきらびやかな衣服で馬を乗り慣らすことをおこなうので、伊勢町から荒神町まで棧敷をつくり、おおぜいの人たちが並んで見物していたこと、神輿は二十三日の夕方に帰座したことが記されている。祇園祭は町人と領主・家臣との双方が参加する祭りであったのがわかる。