善光寺門前で、市立てがおこなわれた善光寺町では、街道や小路に面する家々が町内を形づくっているのが特色である。町割りが街道・小路を軸にしておこなわれているのであり、現在もこの町内が区になるなど、まとまりをもった社会になっている。このことをもっともよくあらわしているのが町内での神社祭祀である。たとえば元善町では熊野諏訪神社、横沢町では八幡社、西町上では市神社(高市神社)、大門町では熊野社、横町では市神社、西町上・西町南と長門町では天神社(長野天満宮)、桜枝町では天神社、東之門町では伊勢社、岩石町では古録稲荷神社、上後町では道祖神をまつっている。
善光寺町のすべての町内ではないが、多くの町内で独自の神社をまつっている。元善町の熊野諏訪神社は四月十五日と十月十五日が祭礼日で、十月十五日には、神輿(みこし)が出て町内を渡御(とぎょ)している。横沢町の八幡社も春祭りと秋祭りがあり、四月十三日の春祭りには大勧進も参加するのが恒例となっている。なお、横沢町の八幡社境内には中風(ちゅうぶう)よけの神として信仰を集めている青麻(あおそ)社がまつられ、二月十一日の祭りは多くの参詣者でにぎわっている。西町上の市神社は西方寺わきの公会堂の入り口に鎮座し、商売の神だと伝えられている。四月十九日・二十日が春祭り、九月十九日・二十日が秋祭りで、かつては秋祭りには神楽(かぐら)がおこなわれていた。大門町の熊野神社は八月十七日が祭礼日で、第二次世界大戦前までは中央通りの東西の町内で獅子(しし)を出し、太鼓とともに町内を練りあるいていたという。横町の市神社は八月二十五日が祭りで、昭和三十年代までは獅子舞の神楽を頼み、市神社の前で舞ってから各家を回って舞っていた。上後町の道祖神は、西後町上と東後町でまつるもので、八月十八日・十九日が祭礼日になっている。
西町上・西町南と長門町でまつる天神社は、春は四月二十三日・二十四日、秋は八月二十三日・二十四日が祭礼日で、八月の祭りは神輿や神楽が出るとともに、夜には盆踊りもおこなわれてにぎわっている。祭りは三ヵ町の区長と祭典係が中心になって進められ、春・秋とも二十三日の宵宮に神主が祝詞(のりと)をあげて神を迎える。秋祭りではこのあと三ヵ町から神輿が出て、西町南の神輿が大団扇(おおうちわ)と幣束(へいそく)を先頭にして三ヵ町を回る。天神社ではこうした祭りとは別に、五〇年ごとに正遷宮がおこなわれている。遷宮といっても社を建て替えるわけではなく、屋根を葺き替えたり、玉垣を新しくしたり、狛犬(こまいぬ)を建立したりといったことである。もっとも近年の遷宮は昭和五十三年(一九七八)で、このときには神輿とサカキヤマ(榊山)の巡行がおこなわれた。これは天狗(てんぐ)を先頭に、神主、羽織姿の役員、神輿、稚児(ちご)、女性の踊りとともに、米俵と榊などで飾りつけた榊山が三町内を回るもので、榊山が出るのは正遷宮のときだけである。