市立ての神

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松代町や西町上・横町でまつるような市神は、長谷(はせ)(篠ノ井塩崎)でもまつられている。さらに北信地方では、飯山市の本町・上町・中条・小菅(こすげ)、信州新町(上水内郡)の越道(こえどう)・日名(ひな)、木島平村大町(下高井郡)、山ノ内町菅(すげ)(同)、須坂市明光寺、更埴市の本八日町・土口(どぐち)・田端、牟礼村本町(上水内郡)、小川村高府中町(同)にもある。このように市神をまつるところでは、市が開かれ、たとえば飯山市小菅では、七月十五日に小菅神社で小菅市が立ち、現在は玩具(がんぐ)や日用品などが中心になっているが、以前は生活物資が中心で、明治時代には馬市も立ったと伝えられている。牟礼村本町では、五月八日が地区の遊び日で、植木や野菜の種物、金魚、玩具などが売られている。

 現在では、市神を中心に市立てをおこなっているところは少なく、市立てそのものの伝承が失われているところもある。しかし、木島平村大町では、区の中心に市神があるので、昔は市が開かれたのかもしれないといって、七月十四日には区長が神主を頼んでお祭りをしており、市神の存在は忘れ去られてはいないようである。


写真2-74 市神社(西町上 平成9年)

 市神は祠(ほこら)や石碑などとしてまつられるのが一般的で、この神は市大神(いちおおがみ)としたり、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、えびす、大黒、大神宮などと伝えている。神格そのものが、現在ではあいまいになっている。このことは北信地方だけでなく、長野県全体としてもいえるが、やや視野を広げて隣接県をみていくと、群馬県では市神を牛頭天王(ごずてんのう)とするところが多い。たとえば富岡市南蛇井の戸井・四日市では、表には「牛頭中天王」と刻み、裏に市日を彫った石碑が市神であり、太田市でも正月に市神様として祇園の神輿を街に据えて参拝している。佐波郡境町では二・七の六斎市が立ち、市神の天王宮がまつられている(『群馬県史』資料編二五〈民俗一〉)。

 群馬県では、牛頭天王を市神とし、これを現在では八坂神社としてまつっているのは、前橋や高崎、桐生、太田、沼田、渋川、中之条、大間々(おおまま)など、とくに都市部に多いといわれている(金子緯一郎『群馬の祇園信仰とその祭り』)。ここに町における市立てと祇園祭との関連を、より強くみることができる。旧善光寺町や松代町では、市神に町の外から天王神を迎えて祇園祭をおこなっており、両者の関係のあり方は、群馬県の場合とは異なっているといえる。