近年の都市化は、社会生活のさまざまな面に変化をもたらすと同時に、人びとのものにたいする価値観や意識の変化ももたらした。長野市域でもかつての農村風景はしだいに減少し、宅地化や商工業地化か進み、とくに幹線道路沿いの景観は日々変化をしているといっても過言ではない。そうした社会の変化に対応するように、女性たちの生活にも変化がみられる。
かつて女性は、生まれたときから他家に嫁ぐものとして育てられ、他家の家族員、とくに舅(しゅうと)・姑(しゅうとめ)と折り合いよく暮らせることを第一に考えるしつけがなされた。素直で愛想がよくこまかなところまで気遣いができ、なおかつ健康でよく働き、大勢のこどもをもうけ、そのこどもたちを一人前に育てあげることができる。先祖の祭りを大切にし、夫や舅・姑に従い、家風に早くなじんで家を切り盛りできるような主婦となり、家を繁栄させることができる。そんな女性が嫁としては理想的な女性であり、一人前の女性として高く評価された。こどもが女の子ばかりのときには長女に婿養子を迎えたり、跡取りの長男が幼い場合には、長女に婿を迎えて家の切り盛りをさせ、長男が成人して家を継いだあと、改めて長女夫婦を分家させたりする例もあるが、長野市域では嫁入り婚が一般的である。家が大きくなるもならぬも家の切り盛りをする女性しだいと考える傾向は強く、家のためになる女性を嫁として迎えようと、跡取りが成人するかしないかのころから嫁探しをするのが一般的であった。
家はそこで暮らす人びとにとっても、嫁入りなどによってその家から外に出ている人びとにとっても精神的なよりどころである。明治民法で定められたような家制度はなくなり、家を重要視する意識はしだいに薄らぎつつあるが、現在でもなお「家を継いでいく」「家を継いでもらわなければならない」という意識は残っている。制度としての家はなくなっても、建物はあり、それにともなう家産・墓などは依然として存在する。とくに農家では、先祖伝来の土地を耕作することによって生活を成りたたせてきたので、土地や家にたいする執着は強い。また、家に暮らす人びとは血を分けた親・兄弟姉妹(しまい)であり、あるいは自分の出自を示す場所ともなる。家制度がなくなっても、家の継承はそれぞれの人びとにとって意識の外に追いやるほど軽い存在とはなっていない。依然として長男は家を継ぐものであり、長男には相応の伴侶(はんりょ)を望む意識は強く、明治民法下の意識に通じるものが残っている。
そうした家意識を背景に、現実の女性たちはどんな暮らしをしてきたのか、その暮らしはどう変化してきたのか、女性たちの暮らしぶりを描きだしていく。