長野市域では、日常生活のなかで折々に「ご先祖様のおかげ」といい、仏を大切にする場面が多くみられる。村内にアンジュサン(庵主さん)とよばれる尼僧(にそう)の暮らす村もちの庵(あん)があり、仏の立ち日(命日と同じ日)ごとに尼僧が家々を回って仏の供養をして歩くところも各所にみられる。尼僧のいないところでは、檀那寺(だんなでら)の僧侶(そうりょ)を頼む家もある。これをオジサイ(お持斎)などといっているが、宗派による違いは多少みられるものの、概して仏の供養には熱心であるということができる。寺への帰依(きえ)の意識も強く、寺の行事への参加も積極的におこなわれ、檀那寺で幼稚園・保育園などを経営している場合は、そこに入園させる家が多い。
嫁も生家を離れるときには仏壇にお参りしてから婚家に向かう。生家の先祖に今までの感謝を込めてお参りし別れを告げ、生家に二度と帰らぬようにとの意味からあとずさりして座敷口から出る。他方、婚家に入るときには長野市のほぼ全域で嫁は婚家の勝手口から、婿は座敷口から入るものといわれている。嫁は勝手口から入り、勝手を通って控えの間に落ちついたのち、まず婚家の仏壇にお参りしたというところが古森沢(川中島町)をはじめとする多くの地域にみられる。昭和二十年代初めに善光寺門前の坊へ嫁入りした女性は、結婚式後舅・姑・夫とともに数珠(じゅず)をもって仏壇にお参りし、舅が「無事結婚した」ことを報告した。昭和三十年代後半から四十年代に入ると、婚礼は結婚式場やホテルなどを利用するようになるが、それでも四十年代初めに結婚した女性も、式と披露宴を終え、新婚旅行にたつ前にいったん婚家に立ち寄って仏壇にお参りしてから、新婚旅行に出かけた。もちろん、こうしたことをどこの家でもおこなっているわけではなく、同じころ結婚した女性の場合、生家を出るときに仏壇にお参りし、市内の料亭で結婚式と披露宴をおこない、そのまま新婚旅行に出発した。婚家の仏壇には、新婚旅行から帰ったあとにお参りしたという。結婚式に先立って先祖の霊にお参りするか否かは、家々によるしきたりの違い、本・分家による違い、宗派による違いなどにより異なるが、嫁(婿)にいくこと・嫁(婿)にきたことをまず先祖に報告することが多かった。