浄土真宗の家々では先祖への報告と同時に、寺へのあいさつもおこなわれる。中千田(なかせんだ)(芹田(せりた))の専福寺の檀家(だんか)の家々では、報恩講などのときに姑が嫁を連れていくことが多いが、新婚旅行や里帰りの直後に連れていく家もある。嫁は留袖(とめそで)・訪問着・小紋に黒の紋付き羽織などを着て正装し、姑も無地の着物の上に黒紋付きの羽織などを着ていく。姑は「これが家の嫁の○○です」などと、オッシャン(住職)に紹介する。報恩講にいった場合にはお御堂(本堂)で他の門信徒とともに、オニライサン(本尊)にお参りし、オッシャンの説教を聞いたりオトキ(御斎、仏様とともにする食事)をいただいたあと、オッシャンからお数珠をいただいて帰る。家の嫁として、当然寺とのつきあいもできるので、オッシャンに嫁を紹介するとともに、オニライサンにも嫁を紹介するのだといわれている。このとき寺へは「御元付(おもとづき)」「御許付」などと書いたのし袋に金を包んでいく。いくらとは決まっておらず、家々の状態に合わせて包んでいく。
婿入りした場合にもオモトヅキはおこなわれ、昭和十年代に婿養子にきた南俣(みなみまた)(芹田)のある男性は、里帰りなどが終わって一段落したころを見はからい、男仲人(分家の戸主がつとめた)に連れられていった。二人とも紋付き羽織袴の正装で行き、数珠をもらってきた。オモトヅキがすむと檀徒になったと考えられた。かつては村内での婚姻が多く、同じ寺の檀家から嫁・婿を迎える場合も多かったが、同じ寺の檀家から来てもオモトヅキには行き、その「家」のものになったことを報告した。オモトヅキに行くと、寺では檀信徒(だんしんと)の帳簿に記載した。近年は寺で年一回発行している通信にオモトヅキに行った人の名前をのせている。結婚した月日・息子の名前・嫁となった女性の名前をのせるので、檀家どうしつきあいはないが古くからの顔見知りといった程度の家々でも、「ああ、あの家でも嫁さんもらったんだ」ということを知ることになる。
○お許づけ
3月 鈴木隆幸妻美佳 東京
6月 西沢康夫妻郁子 吉田
8月 和田 隆妻早苗 南俣
ほのぼのとしたカップルのご挨拶でした。
不思議な出合いに感謝しつつ、仏様のご照育を気付かせていただきましょう。
以後、嫁は「家」の嫁として、先祖とその祭りをおこなう寺との双方に、深くかかわっていくことになる。