葬式が終わっても、主婦(嫁)としてのつとめは終わらない。初七日、四十九日、百箇日、一周忌、三年忌などの法要をしなければならない。一年間はアラボン(新盆)・アラドシなどがあり、そのつどお参りに来てくれる客の接待、引き出物の準備などをする。田子では初七日に形見分けをしたが、こうした形見分けもかつては大切な主婦のつとめであった。嫁に出たこどもなどに等分にわけ、それぞれに満足してもらえるような分け方をしなくてはならない。形見分けの仕方によって、小姑たちとの関係がこじれてしまうようなことにならないよう気を配らねばならなかった。かつては子分などにも形見分けをしたが、現在はこどもだけにしたり、家によってはまったくおこなわない例もみられる。
こうした年忌のほか、西山から善光寺平にかけての多くの地域では、葬儀の翌日・三日目・七日目・四十九日などいずれかの折に、遺骨をもって善光寺の本尊にお参りにいく。骨開帳(こつがいちょう)あるいはオコツアゲなどとよばれている。墓に遺骨を納める前に、善光寺に行き、お布施をあげて読経(どきょう)してもらうと同時に、特別に本尊を御開帳してもらう儀式である。戸主夫婦や本家・分家、仏の兄弟・こどもなど、近親者だけが参加する家が多い。帰途、大本願に寄り、尼さんに読経してもらい、上人様の「ご家族の皆様、お体をおいといくださいますよう」などというおことばをいただいて帰る。箱清水などのように、男性の仏の場合は大勧進(だいかんじん)、女性の仏の場合は大本願(だいほんがん)と分けているところもみられる。骨開帳をしに善光寺へ行くとともに、栗田や南俣などのように、檀那寺へ寺参りに行くところもある。檀那寺の本尊にお参りし、読経をしてもらうのである。これらの儀式がすんで家に帰ると、簡単な食事を出した。戸主夫婦が骨開帳に行っているときには、本家や分家の嫁などが食事の準備をするための手伝いに頼まれた。
冠婚葬祭など人寄せをした折に、主婦がどれだけ上手に手伝いの人を使い客を接待できるかが、主婦の評価につながっていった。とくに不意におとずれる不幸のさいにはそれが際立ってみられることになり、舅・姑の送り方には、主婦の力量だけでなく積年の思いや誠意のようなものまでがあらわれるとみられていたのである。