農家の女性たちの暮らし方と、町の女性たちとくに商家やサラリーマン家庭の暮らしには、多少の差がみられる。旧長野町の大きな造り酒屋の主婦は、酒造りに従事する従業員のための献立を一ヵ月分まとめて立て、それにしたがってお手伝いの女性が食事作りをしたという。こうした家では、家の経営全体は主人が掌握しており、主婦は食事や衣服・寝具の世話など、お手伝いの女性への指図などが主な仕事であった。やはり旧長野町の会社員の家庭では、夫の給料で生活し、給料は夫が握っていて、必要に応じて夫から金をもらうという方式をとっていた。大正生まれの彼女の場合、結婚当初から家事全般を姑から任されていたが、日常の台所の買い物などは姑にかならず相談してから買いに出かけ、勝手にすることは許されなかった。食事については栄養のバランスということを心掛けたので、食材の買い物もそれにもとづいたものであった。自家で採れたものを利用する農家とは大きな違いがみられるところである。
ただ、サラリーマン家庭のあり方は多様であり、どこの家でも同じというわけではない。第二次世界大戦以前から夫はサラリーマン、舅・姑・妻は百姓という稲葉(芹田)のある兼業農家では、他の農家と同じように舅が財布を握り、夫の月給は一度全部を生活費として家に入れ、そのなかから夫の小遣いをもらっていたという。ふだんの食事は家で採れる野菜などを主体とし、現金はなるべく貯えるように心掛けた。ただ、専業農家よりは現金収入がある分、経済的にはゆとりがあったという。