若い夫婦が共働きで外に出ることが定着しはじめた昭和五十年代ごろから、田畑の耕作はしだいに減少していく。アップルライン(国道一八号)沿いや市街地から各方面にいく幹線道路沿いは、しだいしだいに開発されて、現在幹線道路沿いで田畑を耕作している場面を見ることは少なくなった。若夫婦の世代は勤めに出ていて現金収入があり、田畑の耕作をする必要を感じなくなっていたし、舅・姑世代は「ご先祖様からいただいた土地」を耕さなくなることに抵抗はあったものの、老人世代だけでは労力的に耕作は不可能な時期を迎えていた。マンション・アパート・駐車場・店舗などにして現金を得、日々の暮らしに必要なものは購入する暮らしへと変化を余儀なくされた。そうなった場合、入ってくる金の管理は年寄り世代がおこなっているという家もあるが、舅・姑のどちらかが欠けていたりすると、若夫婦が管理している場合もある。
しかしいずれにしても、若い嫁たちはかつてのように自由になる金がない、などということはほとんどなく、専業主婦でいても夫の給与の管理は妻に任されている場合が多い。たとえば昭和四十年代半ばに結婚した小市(安茂里)の夫婦によれば、結婚後数年間は若夫婦が共働きをし、家事や野良仕事は舅・姑に任せていた。こどもが生まれてからは、子守も舅・姑の仕事であった。財布を握っているのは舅で、若夫婦は自分たちの必要な金額だけをあらかじめ自分たちで取り、残りを生活費として舅に渡していた。若夫婦の個人的なつきあいにかかる金などは若夫婦が負担するが、嫁の実家や親戚とのつきあい(義理)の金は、舅が別に出してくれた。若夫婦が財布を全面的に握ったのは舅が亡くなってからである。しかしこの間でも、嫁は昔の嫁のように小遣いに不自由するなどということはなかった。
嫁が働いて自由に使える金をもてるようになってから、姑がいつまでも嫁に財布を渡さないために「てえげえなら(いいかげんで)嫁さんに財布わたしやっさい」などと、近隣の人に強要されたような話は聞かれなくなった。このように嫁が自由になる金をもてるようになったという社会的な変化は、ともすれば姑と嫁の立場を逆転させることになった。金のある嫁に姑が老齢年金などからわずかな生活費を渡し、「嫁に逆らわないように、嫁のいうことを聞いて静かに暮らしている」といった、かつての嫁・姑関係とは逆転した状況を起こしている家もみられるようになった。同時に、財布のあり方は家によって多様化し、かつての農家のようにどこの家もほぼ同じような状態であるといった構造はみられなくなった。