長野市域では男性のサラリーマン化は戦前からみられ、役場勤めや停車場通いなどといわれる人びとが、給与生活者の走りのような存在として認められる。戦後は、どの家にも勤め人がいるようになり兼業農家が増加し、家の経営の主体としての経済面において農業はしだいに二次的なものへと後退していった。田畑の耕作は機械化が進み、労力をそれほど必要としなくなったし、地の利のいいところは貸し事務所化やアパート化が進んでいる。かつてのジツキ(地付き)といわれた家々のサラリーマンは、純粋な給与生活者ではなく、なんらかの副収入のあるサラリーマンであることが多い。しかし、そうした家の主婦でもパートタイムで働いたり、結婚前からの就労をつづけることが多く、共働きである。
女性が働きに出ることはかならずしも家計の足しにといった目的ではなくなり、現在では自分のために、そして働くこと(職種)に生きがいを感じていたいといった目的に変化しつつある。会社の同僚と食事やカラオケで憂(う)さを晴らしたり、休日にはさまざまな趣味に時間を使い、気分転換をするという女性も少なくない。そうした傾向は共働きの女性たちだけでなく、専業主婦でも源氏物語の勉強会に参加したり、絵画教室に通ったり、英語やフランス語会話を楽しんだり、あるいはボランティアにかなりの時間を割いたりと、余暇の過ごし方もさまざまである。夫婦で年に何回か旅行をするのが何よりの楽しみという女性もいる。かつて姑に「二晩で(帰って)こい」とか「三晩で(帰って)こい」といいつかり、生家に帰るのさえままならなかった時代とは、大きな変わりようである。
いっぽう、主婦が社会に出て働く機会が増えるにつれて、さまざまな問題も生じている。舅・姑を送り、こどもも独立し夫婦ふたりだけで共働きをつづける安茂里のある主婦は、家のことを何も心配せずに働けるということは、本当に気楽だという。しかし、そうした女性はそんなに多くはないだろう。働いているからといって家事がまったく女性たちの手から離れていることは少ない。外でも働き、家でも家事をこなすといった二重の負担が女性たちにかかっている。そうしたことが原因とみられる主婦の過労死なども少なくない。また、家事を手抜きするためにレトルト食品や冷凍食品、ファーストフードなどの利用度が増し、今後の健康面に影響はないのかとか、家族がそれぞれに食事をする個食化なども問題にされている。若い世代が昼間は留守になるために、孤独な年寄りが増えていることも確かである。
女性たちの社会への進出は、妻と夫、姑と嫁、家と主婦といった小さな単位だけでは解決できない問題を常に内包しつつ、今後もさらに増えつづけるだろう。