こどもは、社会の存続と文化の継続において、なくてはならないものである。しかし、このこどもは、社会においてただ一つのあり方を示しているだけではない。「腹を痛めて生んだ子」は、「目に入れても痛くない」という。そのかわいさは生涯変わることなく、その限りにおいては何歳になっても「こども」でありつづける。このようなこどもは、親にたいする存在であり、永久にその関係は変わることはない。それは、生物的・生理的な関係であり、ある意味では、先祖からつづく家をさらに未来に継続するための系譜にかかわる存在であった。
だが、こどもはこのような存在であるだけではない。年の暮れに「天神さん」の掛け軸をもらい、雛(ひな)の節供(せっく)や端午(たんご)の節供を祝ってもらったこどもは、いつの間にか立派な若者となり、一人前のおとなとなっていく。そうなることを期待されている。こどもは人生の一時期の存在にすぎないものである。この時期を経験しない人はいないけれど、その時期にいつまでもとどまることを社会は許していない。そうしたこどもの存在がいっぽうにある。
また、血につながるものでもなく、人生の一時期を示すものでもなく、社会的な存在としてこどもになることもある。「こどもは親を選べない」というが、みずから親を選んでその人のこどもになるのである。もっとも名付け親などは、親が「親」を選んでくれるのであるが、仲人親などはみずから選ぶことも多い。この結婚を契機にしてなってもらう親を、長野市域ではふつう、オヤブン(親分)とよんでいる。それにたいして子はコブン(子分)とよばれ、生涯にわたって親子関係を継続するのである。親分は子分の後見人として面倒をみるし、子分は親分を助けるのである。親分の葬式のときには手伝いに駆けつけるとともに、「子分一同」として花輪や生花を供える。それが立派であることによって親分の徳が高く、面倒見がよかったことを参列者などに示すのである。これもまたこどもとしての務めであった。
長野市域の生活文化を把握するためには、いずれの存在からも考えることができる。だがここでは、だれでもが経験のある、そしてその後の人生においてさまざまな影響をあたえている、人生の一時期としてのこどもを取りあげることにする。それは時代の変化のなかで、こどものあり方に大きな変化があったからである。