こどもの世界は、まずはその家族に見守られ、支えられ、家のなかで形成されていく。しかし、かつての農家では、母親も昼間は野良仕事に精を出さなくてはならない存在であった。一日中こどもの面倒をみていることができるわけではなかった。こどもの子守りは姉・兄や年寄りの仕事であった。兄姉が子守りをするときには、弟妹をサンジャク(三尺)で背負って、ネンネコを着て、仲間と遊んだり、掃除などの簡単な仕事をしたりした。年寄りもまた、孫を背負って簡単な仕事をしたり、あるいは村のお宮に連れていって遊ばせたりした。そのような子守りがいないときには、わらで作ったツグラに、半日でも一日でも入れておかれることもあった。
こうしたこどものあり方からすると、こどもそれ自体に独自の世界があったというよりは、その世界を形成する前段階として生きる力をつけるための期間であった。そこでは常に他の人の支えや誘導によって生活を営むことになった。遊んでもらうときにも、手をもって「ワク ワク ワク」「チョッ チョッ チョッ」「アワワワワ」「アタ テンテン」「ネネツ ネネツ」(「トットノメ」「トトノメ トトノメ」)などと唱えながら、手を回したり、両手を打ちつけたり、自分の口を軽くたたいたり、頭をたたいたり、手のひらをもう片方の手の人差し指でついたりさせてもらうのである。
あるいは両手で、あるいは両足で、わきの下を支えて高く差し上げられたりする。また、家族が両手で顔を隠して「イナイ イナイ バー」などといいながら相手をしてくれる。それはことばや肉体的な機能や感覚を身につけるとともに、家族の一員としての存在を認識することにもなった。
こどもの承認は、その誕生以来、ウブメシ(産飯)や産見舞い・お七夜・お宮参り・食い初め、あるいは初節供(はつぜっく)や初誕生などの祝いをとおしておこなわれてきた。しかし、そのような改まった機会だけではなく、日常的な営みのなかで双方が承認しあうのである。こどもの一挙手一投足に関心を寄せる家族。ヒトミシリをして泣きだし、なじみの顔を探すこども。そこには新しい家族を迎えいれることになった人びとと、ようやく自分の世界を見いだしつつあるこどもの姿を見ることができる。しかし、まだ「アシヲヒロエナイ」(歩けない)こどもは、なかなか家の外に出ていくことはできない。