よちよち歩きでも、自分の足で歩きはしめたこどもの行動範囲はいっきょに広がる。手を引かれながらも外へ出ていく機会は多くなる。そしてしだいにこどもの集団に入っていく。オニゴッコもカクレンボも、正式な仲間として認められるわけではないが、邪魔にされながらも兄や姉のあとにくっついていく。遊び仲間たちもその存在を黙認してくれる。
もちろんあまり遠くへ遊びにいくときには置いていかれる。しかし、子守りをいいつかっている兄姉たちはその仕事を放りだすことはできない。自分の遊びに夢中になりながらも、それとなく弟妹に注意をしようとしている。ときには、あとを追いかける弟妹を置いて姿を消してしまうこともないではない。泣きながら追いかけるこどもの姿を見た村の大人たちは、親の元に連れてきてくれる。そんなこともしばしばあった。
そのような経験を積み重ねながら、こどもはしだいに家の周りから村全体にその生活範囲を拡大していく。かつては日当たりのいい縁側や庭先でアヤをとって(アヤトリ)いたり、アヤオリ(オテダマ)をしていたり、あるいはオチャッコ(ママゴト)をしていたりした女の子が、仲間を求めて村のなかに出かけていくのである。姉のあとにくっついてばかりいたこどもが、自分で出かけていくようになったということは、肉体的にも精神的にも成長したことを示すとともに、社会的にもその存在がそれなりに認められたということである。
また、父親に作ってもらった竹とんぼを庭先で回したり、水鉄砲で遊んだりしていた男の子も、棒切れを刀や鉄砲に見立てて、敵を求めて田んぼや山を駆けめぐる。かれらにとっては、せまい屋敷や村内では物足りなくなってきたのである。しかし、たとえ隣村であっても村境を越えることたいへんは勇気のいることでもあった。
しばしば、よその村と小競り合いをすることもあった。いつも何かと関係の深い隣村であるからこそ、その存在を主張しなくてはならなかった。本気でけんかをするのでなくても、悪口をいいあい、対抗意識をかきたてるのである。「もしも○○(隣村の名)が勝ったなら 電信柱に花が咲く 死んだ金魚が泳ぎだす」などと、聞き覚えの歌を歌ったりした。そんな村を通らなければ学校に行けないなどというときには、毎朝かなり緊張することもあった。
しかし、このようにしてその生活世界はしだいしだいに拡大していくのである。それは単に空間としての拡大だけではなく、社会的な世界の拡大であった。