町をみる

592 ~ 593

こどもの生活世界は、どこでも同じではない。村のこどもが異なる世界もあるのだと感じるのは、町に行ったときであった。西山地方の大正二年(一九一三)生まれの男性が、こどものときに村の外に出かける機会は、長野の御祭礼とえびす講のほか、八幡(やわた)(更埴市)のお八幡(はちまん)様(武水別(たけみずわけ)神社)や松代の皆神(みなかみ)様にお参りするときであったという。これらのなかでもとくに長野に連れていってもらうのが楽しみであったという。

 それはにぎやかな祭りの日であったことがとくに印象深かったのであるが、それだけではない。新橋(両郡橋)や、小市(安茂里)にあった凝灰岩を崩して沈殿させ白土をとる池や小屋、うだつのある家やざくろ、久保寺(安茂里)のあんずや赤地蔵など、その道筋にある風物にも心を引かれている。そして長野に行って善光寺にお参りしたあと、そば屋や田楽茶屋で食べる昼食、本屋で買ってもらう本。それらがふだんの生活とはまったく異なる行為であった。そうしたことができる長野という町は、村の世界とは異なった世界として強い印象を受けているのである。