かつての農家などにおいては、家族がその生活を営むうえでそれぞれが何らかの役割を果たしていた。まったく生活にかかわらないですむという人はいなかった。家族の一員として、毎日しなければならない仕事が決まっていることが多かった。それは年齢により、家族構成により、家々によって多少の違いはあった。たとえばその仕事は、子守りとか水くみとか焚(た)きもの寄せとかであり、野菜取りとか火焚きとかであることが多かった。
朝の掃除などもこどもの仕事にしている家があった。また、夕食は粉ものがふつうであったころには、粉ふるいが学校から帰ってきたこどもたちの大切な役割の一つであった。うどんやそばや焼き餅を作るための粉を、ハコブルイ(箱篩)でふるって、ふすまを取り去るのである。水車でひいてきてある粉をハコブルイに入れて、取っ手をもって前後にふるうトントン、トントンという音が、夕方になるとどこの家からも聞こえてきたものだという。
あるいはランプのホヤ磨きなども、こどもたちの仕事とされることが多かった。電灯が引かれるまではどこの家でも石油ランプを使っていた。その炎を守るため、あるいは光が揺れるのを防ぐためにガラスのホヤをかぶせていたが、それは油煙ですぐに汚れてしまう。それを掃除するのがホヤ磨きである。布や新聞紙でホヤの中側についた油煙を取るのは容易ではなかった。「お前の手は小さくてよく磨ける」とか、「お前が磨いたから明るくなった」などといわれて、こどもは得意になって磨いた。
つまり、「こどもは遊ぶのが仕事」といっても、結果としてそれなりの役割を分担していたことになる。何が遊びで何が仕事かということは、こどもにとってはそれほど意味のあることではなかった。小さい弟や妹と遊んでいてもそれは立派な仕事であった。そのような日常生活において生活する技術とそれぞれの役割を、知らず知らずに身につけていったのである。