こどもの生活範囲は家のなかに限定されているのではない。年齢とともにその活動範囲は拡大する。当然こどもをめぐる環境も異なってくる。仕事と遊びの境界であった行動も外に広がっていく。
庭先の前栽(せんざい)から親にいわれた野菜を採ってきていたこどもは、ざるをもって畑に野菜を採りにいく。庭で蜂を飼ってはちみつを採っていた家のこどもは、熊んばちがみつばちを捕りにきたときや、みつばちが群れをなして飛び立ち分蜂(ぶんぽう)するときに、ただ親に知らせるだけであったのに、実際に虫を捕りに出かけるようになる。
男の子たちは、夏になると山や林のなかに入りこんで、くわがた虫などを探したりした。篠ノ井村山のこどもは、角の長いものを義経、短いものを弁慶などとよんで戦わせた。虫の腹をつめでかいて、興奮させて戦わせるのである。虫がたくさんいる木を覚えておいて、友達にわからないように、そっと取りにいったりする。かぶと虫の雄はマクラショイとよび、ときにマッチ箱で作った車を引かせることはあっても、あまり人気はなかった。
女の子たちもまた家から出て、せり・なずな・ふきったま(ふきのとう)・のびろ(野蒜(のびる))などを摘んだ。それらは食卓をにぎわすことにもなり、生活を潤いのある豊かなものにもした。初夏のいたずいこは、そのさっぱりした酸味を楽しむ対象とされた。こどもたちは遊びにいくとき、紙に塩を包んでもっていき、道端に生えているすいこの柔らかい茎を折り取って、その折り口に塩を付けて食べた。家によってはいたずいこを塩漬けにしておいて食卓に出すこともあった。
草花は食生活を豊かにするだけではなく、こどもたちの生活をも豊かにした。ギッコンバッタンなどとよぶおおばこの花茎は、交差してすり合わせてどちらが強いかを競った。すみれの花もその首を深く傾けているために、首を引き掛けあって強さを競った。三角形の茎をもったかやつりぐさは、幼いこども同士の関係を確認するために、二人で両端から裂いて四角形になるかどうかを注視した。季節を彩るクローバ・れんげなどの花は、女の子たちの手によって花輪になった。地面に落ちた釣鐘形の小さな柿の花もまた、花輪にするために糸をとおして連ねた。あるいはまた、たんぼ道に生えているかもじぐさは、先を結び合わせてあとからやってくる仲間の足を引っかけるわなになった。これもまた自然の草にたいするこどもたちの利用法の一つであった。
日常的に、自然の動植物はこどもたちの生活のうちに大きな役割を果たしていた。その対象とされるものの種類は自然環境によって異なるが、犬石(篠ノ井有旅(うたび))では、食用にするためにたにし・いなごなどを捕ったし、ため池ではひしの実やじゅんさいを採った。山などでは、わらび・ふき・すいこ・いたどり・たらの芽・三つ葉・のびろ・うど・あかざ・すべりひゅ・桑の実・あけび・くり・くるみなどを採って食べたという。もちろんこれらは大人も採るのであるが、こどもたちもこうした機会に自然の豊かさに触れたのである。
その豊かさは利用価値にだけ限られているわけではなかった。たとえば、秋に赤い実を付けるよめごろしは、空腹に耐えきれなくなった嫁が、あまりにうまそうに熟れているので、つい食べて死んでしまったことから名づけられたなどという話を聞かされるのは、実際にその実を目の前にしてであった。それによって食べられるものと危険なものとを区別する知識を得るとともに、嫁の暮らしについても理解する機会となったのである。