はじめに

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 北信流とは、冠婚葬祭をはじめ会社の歓送迎会や慰安旅行、PTAなどさまざまな機会におこなわれる酒席の儀礼である。杯(さかずき)を交わす人と「お肴(さかな)」を出す人とが指名され、「お肴」と称する小謡(こうたい)が終わると杯を飲みほし、つづいてお返しの「お杯」と「お肴」を差しあげるという形式にもとづく杯事(さかずきごと)である。酒席のけじめをつけるためにおこなうのだと認識している人は多く、事実この杯事が終わると多くの出席者が席を立つ。しかし、この儀礼は会のけじめをつけるという意味だけではなく、「お杯」を差し上げる側、受ける側、お酌をする人、「お肴」を出す人などの指名に、複雑な人間関係や家と家との力関係などがほのみえる。北信流という呼び名のように、善光寺平を中心におこなわれているこの儀礼は、単に儀式としてのみでなく、人びとがこれまでに伝えてきた心意を探るとき、長野市の民俗を特徴づける大切なものの一つといえる。

 北信流は、善光寺平を中心としたその周辺地域の人びとに知られているのみで、県内の人びとでも北信流ということばを知らない人は多い。通婚圏が広がるにつれて長野市域外から嫁いできた女性たちには、婚家に入るまで北信流を知らなかったという人も多いし、転勤などで長野市に来た人びとにとってもなじみのない習慣である。お肴である謡(うたい)にもなじみのない人が多い。たとえば、昭和四十年代初めに稲葉(芹田)のある家に嫁にきた女性は、謡は結婚式の高砂のほかには能や仕舞いの曲という理解ぐらいで、関心も知識もなかった。自分の結婚式はあまり記憶にないが、婚家に入って以来、何回かの冠婚葬祭や手伝いに参加するなかで、北信流のお杯とお肴にしだいに慣れていった。この女性の場合、北信流とは、形式を重んじることはもちろんだが、家と家との関係や家人の上下関係もはっきり見せつけられるものだという理解の仕方をしている。

 現在もなお北信流はさまざまな機会におこなわれており、人びとの意識のなかに深く根づきつつ、酒席での役割を果たしている。