もとは武士の教養の一つとして学ばれていた謡(うたい)が、明治時代以降に庶民にも取り入れられ、その過程で杯事と強く結びついたのが北信流である。
現在北信流で一般にうたわれる謡は、長い謡曲(番謡ともいわれている)のなかの一節をピックアップした小謡(こうたい)である。謡曲を習うといっても小謡だけを習えばよいという人もいて、能楽としての謡曲を習っている人びとからは、「謡曲は北信流のためにあるのではない。能楽のなかの謡曲として、一生懸命に修得をすべきものだ」という声も聞かれる。
つぎに、北信流がどんな機会に実際におこなわれているのかみてみたい。家々で婚礼をしていたころには、三三九度の夫婦杯に引きつづき、親子杯、兄弟杯、オジオバの杯、親類総代との杯とつづくあいたに、高砂・玉の井・養老などの順に謡がうたわれた。また、お誕生祝い、元服、新築祝い、村祭りなどの祝儀と葬儀・法要など儀式全般におこなわれるほかに、村役や勤め先での各種宴会とさまざまな機会の宴席でおこなわれており、そのときその場にあった謡がうたわれてきた(表2-9)。しかし、北信流のやり方には、その土地土地でわずかずつ違いもみられる。たとえば小謡の種類とか、冠婚葬祭のなかでも仏に関係したときはおこなわないとかといった違いがある。