年祝い

628 ~ 629

祝い事にもさまざまあり、家によって何をおこなうかも違いがある。還暦(六〇歳)・喜寿(七七歳)・米寿(八八歳)といった年祝いも、おこなう家もあればプレゼントだけを贈ってすます家もある。年祝いを機に、久びさにこどもたちや兄弟が集まる家もある。

 たとえば、平成四年安茂里地区のA家とその長男の嫁の実家である稲葉地区のB家では、傘寿(さんじゅ)(八〇歳)を迎えたA家の父親と喜寿を迎えたB家の母親の祝いを、両家のこどもや孫などが集まってK温泉でおこなった。A家の長男の勤続三〇年とB家の長男の昇進の祝いも兼ねていたが、主客はA家の父親とB家の母親で、二人には記念品と花束が用意された。

 当日の席順と参会者の関係は図2-36のとおりである。内々の集まりなので亭主役というほどのものではなかったが、招待する側がこどもたちという趣旨だったので、B家の長男が会の趣旨と祝辞を述べ、乾杯の音頭を父親にとってもらい祝宴を開始した。内々の集まりであったが、宴の半ばでB家の父親が主賓の母親に代わりお礼のあいさつをしたのち、「お喜びのお杯」を提案し、A家の父親と長男、B家の母親と長男にお杯を差し上げることになった。「お肴」はB家の父親が「鶴亀」をだした。お酌をした人にそれぞれ返杯したが謡はなく、杯がすむとカラオケなどの余興に入った。


図2-36 年祝い(A家の父親からみた関係)

 こうした内々の簡単な席でも、北信流がおこなわれることもあるが、そのおこなわれ方は簡略化されている。