このように長野市内ではさまざまな機会に、北信流とよぶ杯事がおこなわれているが、その機会は冠婚葬祭などの儀礼的な場合だけでなく、さまざまな会合や会社の歓送迎会といったものにいたるまで、おこなわれる機会は広がっている。また、地域的にみても第二次世界大戦後急速におこなわれるようになったところもあり、今では小人数の会合にもかならずおこなわれているといったところもある。
いっぽうでは、生活改善運動などにより飲み会・祭典・義理のつきあいなどを簡素化しようという運動を展開している村も多い。広瀬(芋井)などでも酒席は堅苦しい形式を気にせず、自由に楽しく飲める状況をつくり出そうと努力しているが、家々での祝儀や不祝儀にかならずしも北信流はなくなってはいない。それは広瀬だけではなく、多くの地区に共通することであり、北信流をおこなわないがために、宴席がだらだらといつまでもつづいて、お開きにならずに帰るに帰れなかったなどという人もいる。北信流をおこなうことによって宴席の流れがスムーズになり、メリハリがつくという考え方もある。宴席の主賓が北信流のリードもするという認識もあるため、形式的だとか簡略化するとかという名目だけでは、北信流はなかなか衰退しない。