主客はだれか

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こうした北信流のおこなわれ方をみてくると、北信流は、お肴とよばれる謡に重点があるようにみえながら、実際にはだれとだれとが杯を交わすかという点に主目的があると思われる。そうした意味では、武士の主従関係・上下関係を大切にした儀式としての北信流の名残をとどめているとみることができる。だれが主客であるか、本家と分家との関係、親戚のなかで近い関係にあるものなど、家と家あるいは人と人との関係が北信流をおこなうことにより、一座に明確な認識をあたえる。もっといえばだれが主(上)でだれが従(下)かといった認識でもある。

 なぜ主従・上下関係が明確になるような北信流が、善光寺平を中心におこなわれているのかという点は、明確ではないが、北信地方が本・分家を中心にしたウチワの集まりの強固な地帯であることと、関係があるのではないかとも思われる。冠婚葬祭のさいにまず寄るのはウチワあるいはマキとよばれる自家を中心とした本家・分家集団である。そこに親分・子分という擬制親子の関係と親戚関係が加わるが、擬制親子と親戚は当事者たちが亡くなってしまうのをきっかけに、しだいに縁が切れていく。それにひきかえ本家・分家のつきあいは、半永久的なものなので、機会あるごとに自分の家の位置づけを周囲に認識させておく必要があり、北信流はそうした確認のできる最良の機会でもあった。分家は本家の、本家は分家の存在が「君の恵みぞ ありがたき」(鶴亀)ものであることを、機会あるごとに確認させてきた。