人びとの暮らしにおいて、自他、内外などを区別するためにさまざまな境界が設けられている。それは空間についてだけではない。時間についてもみられ、その境界は一日や一月、あるいは一年などという単位においてみられる。また、空間における境を示すものとしては、たとえば村境には道切りの注連(しめ)が張られていたり、石造物、神木などがまつられている。屋敷においては門口や軒端、戸口などの出入り口が設けられ、これが境になっている。このような境においては、内に悪霊や流行病が入ってこないようにし、また入ってきてしまったものにたいして、たとえば虫送りのように害をなすものを境の外に追い払う祭りなどをおこなう。こうして、内における平和や安全を保ち、そこにおいて人びとは暮らしを営み、行動をしてきた。
また、年中行事をはじめ、人の誕生や死などのときにもこの世とあの世などという異なる空間を想定し、それを分ける境界が存在する。たとえば、こどもは産婆さんにへその緒を切られて母体から分離してこの世に迎えられ、ナヅケシチヤに親分などによって名前がつけられてこの世における一人の人間として扱われることになる。そして、親元などから贈られた産着(うぶぎ)をこどもに着せて、氏神にお宮参りに行くと村の一員として認められるようになる。盆行事においては八月一日を地獄の釜蓋(かまふた)が開く日といい、仏があの世からこの世にやってくるとするところがある。また、お墓や家の門口などがあの世に通じる境界であるかのように考え、そこで迎え火を焚(た)き先祖の霊をこの世に迎えて供養したあと、ふたたび送り火を焚いてあの世に送るのである。この世においてだけではなく、あの世との境を想定して儀礼がおこなわれる。