嫁を迎える

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人生儀礼としての嫁入りにおいても、境におけるさまざまな習俗が存在し、村境や家の入り口などが重要な役割を果たしてきた。かつて南俣(みなみまた)(芹田)では、嫁入りの行列が婚家の村の入り口まで来ると嫁の荷をおろして休み、かつぎ手たちは大声で長持唄(うた)をうたう。婚家方では、その唄を合図に家紋入りの提灯(ちょうちん)をもって出迎えにいったという。また、近所の人たちも荷物を見るために集まり、そこで新しくやってくる嫁を知るのである。七二会(なにあい)などでは、中宿(なかやど)とよばれる婿方で用意した家で休憩し、赤飯などで腹ごしらえをしたり、身支度を整えたりして婚家に向かったという。

 嫁が婚家に到着すると、ケダシ(門口)で松明(たいまつ)を焚(た)き、嫁はその火をくぐって勝手口から家のなかに入るのがふつうであった。昭和三十年(一九五五)ころまでは、今まで履いてきた草履(ぞうり)を脱ぎ、鼻緒を切って屋根に投げ上げることも多かったが、これは生家に帰れないようにするのだといった。栗田(芹田)では、嫁が婚家に着くと麦藁(むぎわら)で通ってきた道を焼き切って帰る道をふさぐ真似をしたが、これはきつねの化けた嫁ではいけないから、焼いてしっぽを出すかどうか確かめるのだともいった。また、嫁が婚家に入ると三三九度の杯がすむまで自身番を門口に立てて、邪魔が入らないようにするところもあった。