ふだんは、屋敷における門口、軒端、戸口、敷居などといった境界をそれほど気にとめることもないが、祭りなどのときには強く意識され、その境が表にあらわれてくることがある。そこは悪霊や災害がやってくる入り口であり、屋敷のなかの安全を守らなければならない場所でもあった。そのため、お札や注連(しめ)飾り、植物、鰯(いわし)などをつけたりした。
日常生活における災いとしてもっとも恐れられたのは火災であった。そこで、広瀬(芋井)では屋敷の境に火事にならないようにいちょうの木を植えたし、玄関に災難よけの九つの文字を書いたお札をはる家もあった。このお札は占い師がもってくるものだという。
年中行事においても、悪霊を屋敷の外に追い払うための行事がある。鳥追い、もぐら追いなどは正月の行事である。下犬飼(芋井)では昭和三十年(一九五五)ころまで一月十五日の早朝、こどもたちがぬるででつくった木板や畔(あぜ)をたたく杵(きぬ)をもち、「もぐらもっちゃ谷へ行け、へびやむかでは山へ行け、すずめどんの鳥追いだ、つばくらどんの鳥追いだ、佐渡島ヘホーリャエ、ホーリャエ」とうたいながら家や土蔵のまわりをたたいてまわった。朝早く隣の家が鳥やもぐらを屋敷地から追い払ってくると、負けずに自分の家の地面をたたいて追い返したという。また、北屋島(朝陽)では昭和十五年ころまで、一月十五日につくった小豆粥(あずきがゆ)をとっておき、十八日に虫よけ、鳥よけとして木に塗りつけた。
篠ノ井では一月三十日にミソカダンゴをつくった。米の粉と玄米の粉を一合ずつ合わせてまるめた直径一〇センチメートルほどの団子で、これを串(くし)に刺して障子や窓などの入り口すべてに挟む。鬼にくれる団子ともいい、家中の障子のあいだに挟むと、鬼は怖がって家の内に入ることができず逃げていくといった。
また、節分には鬼を家の外に追い払う。炒(い)った大豆を一升ますに入れ、部屋ごとに「鬼は外、福は内」と三回唱えながらまく。古森沢(川中島町)や岡などでは豆をまく人のうしろからこどもがすりこぎ、十能(じゅうのう)などをもって「ごもっとも、ごもっとも」といいながらついて歩いた。この日には、玄関などの入り口に悪臭のする鰯の頭と、葉先がとがっているひいらぎの葉をいっしょに挿しておく家も多い。鬼が嫌がって逃げていくのだといわれている。このほか、五月八日をすじまき祝い、種まき祝いなどといい、このときにも悪霊払いの行事をした。軍足(ぐんだり)(芋井)では焼きぬか(籾がらを焼いたもの)を家のまわりにまき、害虫などが家の中に入らないようにした。また、六月四日を宵節供(よいぜっく)といって、家のなかに蛇が入らないように菖蒲(しょうぶ)を束にしてくず屋根の軒先に挿すところもある。
自然災害による災いを家の内に入れないように、家のまわりに境界をつくって災害を防ごうとすることもあった。二百十日前後になると台風による被害に見舞われることが多かった。そのため、風の害を防ぐために風祭りや、トウセンボなどとよばれる祭りがおこなわれた。若穂では風切り鎌(がま)といって、屋敷の庭などに草刈り鎌や竹籠(かご)などを先端につけた長い竿(さお)を立て、大風を入れまいとした。赤沼(長沼)では風の神が家の内に入ってこないように軒端ににんにくをつるしたという。また、岡田(篠ノ井)では雷が落ちないように大小便を家の周りにまくこともあった。