人が生まれるということは、肉体が生み出されるということだけではなく、霊魂などともいわれる命とか人格とかというものがこの世に出現することであり、死はそうしたものが肉体から離れて、他の世界にいくことであると考えられた。そして、生まれたばかりのこどもの魂はこの世にきたばかりで幼く不安定な状態にある。そのため、魂をこどもの体に安定させてこの世における地域社会の一員として無事に成長することを祈った。そうした祈りは誕生以前からさまざまな儀礼としておこなわれた。嫁が妊娠したことが分かると、桜枝町などでは村山(篠ノ井山布施)の荒神(こうじん)さんへお参りして安産を願ってお守りや腹帯をもらった。また、柴(しば)(松代町)では安産を願ってお宮のお札を飲むと、出産のときにこどもがそのお札をもって無事生まれてくるといわれた。なかには、腹帯のなかに蛇の抜け殼を入れておくと難産にならないというところもあった。
そして、こどもは産婆さんにへその緒を切ってもらって、母胎から切り離されてこの世に迎えられた。しかし、これは肉体としてのこどもの出現であって、まだまだこの世の存在としては不十分であった。
そこで、生後において、生まれたこどもがこの世の存在となるための儀礼がおこなわれた。生後七日目のシチヤはその重要な機会であった。この日、親分、仲人、兄弟、主な親類をよんで御飯、酒などを出してこどもが披露され、親分などによって名前がつけられた。それまではボコなどとよばれていたのが、このときから一人の人間として名前でよばれるようになる。命名の紙を丸めたり焚(た)いたりして粗末にするとそのこどもが死んでしまうというところもあり、名前をつけることによってこの世において人格をもった存在となった。また、親元からは産着などがお祝いとして贈られる。人並みの着物を着ることは、この世において人として扱われることであった。
男の子は三〇日目、女の子は三一日目ころには、産土(うぶすな)神などにお宮参りにいくが、これは地域社会の一員として認められる機会でもある。そして、近所や親類に酒を振る舞ったり、親分や親類などに男の子は墨、女の子は紅で額に二ヵ所点を付けてもらったりする。このとき、多くの人に祝ってもらえばもらうほど、早く丈夫な子に育つといわれた。田子(若槻)などでは、赤ん坊に着せる産着は麻の葉の模様のものが縁起がよいといい、あらかじめ嫁は用意しておいた。