西ノ久保(小田切小鍋(こなべ))は山間地に位置する三戸の集落で、道祖神碑はない。そこで、道祖神の御神体として人形を作り村はずれのドウロクジンバにまつる。一月十五日の午前中、当番の家に集まり、嫁、婿、婚礼の荷物背負いであるニショウギとよばれる人形を各二体作る。まず、ぬるでを上下逆さにして足と腕になるように切り、顔になる部分の皮を四角形に削る。そして大日堂に飾られたハチジョウで嫁、婿の着物や綿帽子、婿のかぶりものであるタカシャッポ、手ぬぐいを作る。着物には家紋を入れる。人形にはそれぞれの顔を描く。
つぎに、裾(すそ)模様を描いた着物と綿帽子を嫁に、紋付きとタカシャッポを婿に着せる。ニショウギには着物を着せて手ぬぐいを頭に巻き、人形を作るときに出る木くずなどをハチジョウで包み、嫁、婿の婚礼の荷物として背負わす。最後に、木の枝で刀を作り、柄としてにんじんを刺し婿とニショウギにもたせる。昭和十年代までは人形は一体ずつだったが、戦争色が強くなる昭和十八年ごろから「産めよ、増やせよ」という時代風潮になったため、人形を一体ずつ増やして計六体作るようになった。ときには婿のオンマラに墨を塗ったり、にんじんを刺して大きく見せることもあったという。
完成すると、人形に餅、お神酒(みき)、米を供え、塩でお清めをする。そして、集落内に悪厄や流行病が入ってこないように祈って、夕方には村はずれのドウロクジンバにまつる。左から婿、嫁、ニショウギの順に二段にまつり、お神酒や米を供えてからお参りする。かつてはオンベもドウロクジンバに供えた。そして、一人が正月飾りに火をつけて人形の周りをオセイキといって厄払いし、もう一人が火を消してまわるが、ときには人形の着物を燃やしてしまい裸にしてしまうこともあったという。また、別におこなわれるドンドヤキのときに「ドーソージンのオンマラは一尺八寸抜けだしたー、ひとわらい、ひとわらえやー」とうたったが、今ではうたう人もいなくなったという。