祭りをおこなうこどもたち、あるいは青年たちが道祖神の人形をもち歩き家々を勧進(かんじん)して巡るところもある。このときに新婚の家などでは子宝に恵まれることを祈願する。このような習俗は、裾花川流域を中心とした芋井や小田切などに多く伝承されている。隣接する上水内郡戸隠村でも同様な行事が伝承されている。
平(芋井)では、五~一五歳の男の子が一月七日ごろから祭りの準備を始める。こどもたちは家々からハチジョウを集め、当番の家でオンベの棒に結びつけてハチジョウの紙全体に紅を付ける。また、地区の大工に頼み、男根女陰を表したものを二体作ってもらい、勧進のときに親方がもって巡る。これをサイノカミとよぶ。こどもが多くいたころは、松を一尺八寸の長さに切って男根の形につくり、マラとよんでベンガラをつけて真っ赤にした。そして、当番のこどもは年長から順に太いマラを背負い、多いときでは二二番マラまで当番がいたという。一月十四日の夕方になると、当番の家にこどもたちが集まり「セイミノカーミ(歳の神)のカーンジ(勧進)、銭でも金でもカッカッと、オージャレ、コジャレ、イノイ(戌亥)の隅からワクワク(沸く)と、今年の作は豊年だ」という囃(はや)し歌を練習する。親方たちは小さなこどもたちをきびしく指導する。
また、祭りの役として道祖神(親方)、オンベ、米や餅を集める米王(こめおう)や餅王(もちおう)、勧進のときに袋をもつ米助(こめすけ)や餅助(もちすけ)、ほら貝を吹く一番貝などが決められ、十五日の夜中から明け方まで暗いなかを家々を勧進して巡る。家々の玄関の前で、こどもたちはいっせいに囃し歌をうたい、米や餅、お賽銭などを集める。家の人たちは親方のもつサイノカミにお参りする。また、お賽銭が少ないときは何度もうたいつづけたという。ひととおり巡り終えると、こどもたちは集まった餅を世帯分に分けて「サイノカミの御供(ごく)です」といってふたたび家々に配り、集まったお賽銭はこどもたちで平等に分ける。そして、夕方におこなわれるドンドヤキでもち巡ったサイノカミは燃やし、当番の家で豆腐汁を食べてこどもたちの新年会となる。