下犬飼(芋井入山)では、地区に紙人形を上手に作る人がいて人形を作ってもらった。男の子には青紙、女の子には赤紙で着物を折り、顔を描いてもらう。そして、こどもたちが家々を勧進して巡るときにもつオンベの先に一体ずつ付け、男の子が生まれた家には男の人形、女の子が生まれた家には女の人形をあげたという。
広瀬(芋井)では戦前まで木の枝に紙の着物を着せた人形を作ったが、その後色紙を御幣の形に切ったものを一対作るようになった。そして、行李(こうり)の中にその人形を入れて勧進のとき先頭のこどもが背負い、そのうしろに小さなこどもたちがオンベをもって家々を巡る。御祝儀が足りないときは「モータント、モータント」といって増額を求めた。新婚の夫婦には額に食紅を塗って祝った。かつては、三メートルほどもある馬のオンベをもち、家の中や家畜などの厄よけをしたという。行事が終わると、村はずれにある道祖神碑に人形を供える。
軍足(ぐんだり)(芋井上ヶ屋)でも木で人形を作り道祖神碑に供えていたが、大正五年(一九一六)に上水内郡戸隠村猿丸から婿にきた人の提案で人形を作るのをやめ、道祖神が描かれたものを厨子(ずし)に納めてこどもたちが背負い家々を巡ったという。厨子に道祖神をまつり、こどもたちが背負う形態は戸隠村に多く伝わるものである。